大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪家庭裁判所 昭和55年(少)2237号 決定

少年 S・Z(昭四四・九・一八生)

主文

この事件を大阪府中央児童相談所長に送致する。

同相談所長は少年に対し、昭和五五年四月二日から向う六か月を限度として、その行動の自由を制限する強制的措置をとることができる。

理由

(本件申請の要旨)

少年は、昭和五三年一一月ころから外泊・浮浪・怠学などの問題行動が始まり、その後もかかる状況のほか窃盗などの触法行為もみられ、昭和五四年五月二九日児童相談所において一時保護されたが、無断外出が繰り返され、同年六月二一日教護院に措置されたが、ここでも七回に亘り無断外出が繰り返され、教護指導が困難となつたことから同年一一月一〇日同措置も停止され、以後は実母のもとで在宅指導が続けられて来た。(なお、同年一二月九日には教護院措置解除。)

少年は、その後一時は実母のもとで登校したが、間もなく昭和五四年一二月二日には又もや家出・外泊をし、その後も時には警察で保護され連れ帰られたり、あるいは少年自ら帰宅することもあつたが、家庭には落ち着かず、家出・外泊の頻度を増し、浮浪中の行動範囲も広がり(昭和五五年二月四日には米子駅、同月一七日には下関駅、同年三月七日には東京○○○署でそれぞれ保護された。)、この間無賃乗車や窃盗等の触法行為が繰り返されており、かかる状況下では少年との面談も困難で、指導の基盤となる人間関係が確保できない現状では在宅指導は困難であり、少年の健全な育成を期するためには、強制的措置をとりうる国立教護院武蔵野学院に入所させ指導する必要があるから、児童福祉法二七条の二(少年法六条三項)により少年に対し強制措置の許可を求める。

(当裁判所の判断)

一  本件記録、少年調査記録並びに審判の結果によれば、次のような事実が認められる。

(1)  少年は、両親の協議離婚(昭和五三年一二月二七日届出)と前後して怠学外泊が目立ち初め、昭和五四年二月一日、当時在籍していた小学校からの相談ケースとして児童相談所に係属したが、その後〈1〉同月二六日自家の現金を持ち出して家出、〈2〉同年三月の春休み中、和歌山県で発見保護され連れ帰られる、〈3〉同年四月も外泊を繰り返す、〈4〉同年五月一二日と同月二一日の二度○△○署で保護されたが、この間にも万引や車上狙等の触法行為を繰り返す、といつたことから、同月二九日児童相談所において一時保護されたが、同月三〇日、三一日、同年六月二日(二度)、同月四日(同月一六日帰所)、同月二〇日の六回に亘つて無断外出を繰り返し、同月二一日に教護院(修徳学園)に措置されたが、ここでも同日から同月二六日、同月二七日、同月二八日から同年七月一五日、同年八月二〇日から同月二三日、同月二四日から同年九月二一日、同年九月二二日から同月二九日、同年一〇月一〇日の前後七回に亘つて無断外出を繰り返し、この間の同年六月二五日神社で賽銭盗、同年一〇月二六日には名古屋で保護され、この際に少年・実母・福祉司が話し合い、少年は母の許で真面目にやると約束したが、同月三〇日には店舗荒し、同年一一月八日デパートで玩具の万引、同月九日同所での窃盗未遂といつた触法行為を繰り返し、同月一〇日には教護院指置が停止され、以後は実母の許で在宅指導が継続されることになり、同月一七日から実母の住居地の小学校に転校して通学を開始したが、同年一二月二日には家出・外泊が再発し、その後も自宅からの現金の持ち出し等のほか、昭和五五年二月四日米子駅で保護されたが逃走、同月一七日には下関駅で保護され連れ帰られる、同月一八日児童相談所で面接中逃走、その後同月二六日ころ青森まで国鉄で赴く、同月二七日実母と共に児童相談所で面接した際、武蔵野学院での強制措置の話もなされたが、もう一度だけ連れ帰つてみようということで帰宅したところ、同年三月五日家出して博多に赴き折り返し東京に至つたところを○○○警察署にて保護された。少年の供述によれば、家出・浮浪中の食事は窃取したものを食べたことや、遠出の際には無賃乗車したことも相当あつたとのことであり、また以前にはゲームに相当の金員を費したが、遠出するようになつたのは「ブルートレイン」に興味を持つたためとのことであつた。

(2)  少年は、面接場面等でも落ち着きがなく、絶えず身体を動かし、極めて多動的であつて、自分の興味・関心の赴くまま行動し、指導場面では指示に従わないことが多く、年令を考慮しても道徳感情がなお未発達で罪障感が乏しく、誘惑に対する抵抗が薄弱である。

(3)  両親は昭和五三年一二月二七日協議離婚したが、その原因は、父親は以前から賭事に凝り出費が重なつたこともあつて、母親は他男性と付き合うようになり家を出たため前記離婚に至つたもので、母親は現在もこの男性と同棲している。この離婚に際しては、親権者は父と定められ、父の下で姉と三人で生活を送つていたが、(1)に記載の如き問題行動があつて、昭和五四年一二月一七日親権者を母に変更する旨の調停が成立して後は、父親は少年に対し距離を置いたような態度を示し、一方母親は監護の意欲は示すものの、少年に対しては受容的に接するのみで、問題行動に対する制禦的な指導をとり得ておらず、少年は、前記(1)のとおり母親の下に戻つても相変らず家出・浮浪が止まない現状にある。

二  以上の事実のほか、少年の性格、家庭環境等一切の事情を併せ考慮すると、少年が未だ満一〇歳という若年齢にあり、母親との生活が一般的に望ましく、遠距離に所在する武蔵野学院に少年を収容すれば、母親との接触を困難にすることは充分予想されるが、前記のとおり母親の下でも安定できずにいる少年の現状を鑑みれば、今少年にとつて何よりも必要とされることは、少年のこれ迄の放恣な生活・行動に終止符をうたせ、少年に対し社会的規律等を習得させるための強力な指導の基盤を造ることであると考えられる。母親は調査並びに審判において、少年が武蔵野学院に収容されることになれば、できる限り面会に行くなど少年との接触に努力する意向を示しており、この際は少年の年齢、武蔵野学院との距離的関係等を考慮に入れても、少年に対しその行動の自由を制限する強制的措置を前記国立教護院武蔵野学院においてとりうるよう許可することは誠に止むを得ないものと判断される。また、強制的措置をとりうる期間については、上記の諸事情に鑑みると、本決定の日から向う六か月を限度とするのが相当と判断する。

よつて、少年法一八条二項により主文のとおり決定する。

(裁判官 谷敏行)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例